餡の歴史「生あん」

明治時代、「あん」は、和菓子から広く国民大衆のなかに溶け込むようになり、需要の増加と菓子の種類の多様化に伴って、菓子製造業者の仕事の中から、「あん」の製造部門を分離して専業化することが考えられ、あん製造が独立企業として発生し、現在に至ります。

このため、長い間「あん製造業者」は、菓子製造業者の下請け的隷属的因習が抜けきれませんでしたが、菓子製造業の発展共に製あん業の企業も増え、都市だけでなく全国各地に敵在するようになり、独立企業としての社会的地位を築くようになりました。

明治20年ごろ、東京で本井健吉氏(東京根津製紹所)、伊藤源之介氏(一源製紹所)が、生あんを製造し「あん類製造」の元祖といわれています。大阪では、明治30年頃に内原駒蔵氏が生あんを製造しており、また明治33年頃、北川勇作氏が静岡県承元寺村(現在の清水市)から大阪に出て開業し、成功をおさめました。

生あんは、水分が多く腐敗が早いため、その販路も極めて狭い範囲に限られ、他の地域との交流も少なく、1年のうち冬期を除いては、夜間または早朝作業という特殊な企業形態で家業(生業)的性格が強いため、「あん製造業」には大企業はもちろん、未経験者で開業するものは少なく、"のれん"分けにより各地に支店または独立店を開業するものが大半でした。このため、現在でも各地に同名の屋号が多くみられます。

第二次世界大戦の末期に至り、原料雑豆が統制となり、続いて企業整備が行われ、企業数も大幅に減少します。しかし戦後、昭和22年頃から、国民の甘味に対する要望が強くなるにつれて、主食として家庭に配給された雑豆を入手し、「あん」の製造を再開するものが出はじめました。また教育庁に働きかけ、当時の学童給食の一部に「あん」を採用してもらい政府から原料の払い下げを受けるなど努力を続けました。

その後、昭和26年3月雑穀の統制が解除されるとともに、あん類の製造を再開または新規開業するものが数多く現れました。



搾りたての「生あん」

日本製餡協同組合連合会

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